未知なる業の成就―Ⅰ「二極対比知覚認識」と自己幻惑 

 


― トマスにとって人間の救済は、人間がすべての多様性を超克し、分裂状態を脱して、「二つ」が「一つ」に統合され、原初に復帰することであった。― トマスによる福音書

 

「わたし」が私の「投影現実」の創造主である。

その「わたし」は何者なのか?

 

「二極」という対比知覚認識による人間の特異で偏狭な知覚認識によって考え出された「信念とそれに付随した感情の人工的な集合体」である低次パーソナリティーが「わたし」であるなら、その生き様は苦楽の不安定なシーソーの上を右往左往するものになる。

その「わたし」の投影体は、「楽を求め苦を強める」という形態の惰性の性質である「渇愛」に隷属している。

 

象徴としての「苦楽」の実態を直観(魂の特殊知覚能力)で「理解」することで「幻惑」は消散できるものですが、低位パーソナリティーと一体化した意識状では自らの「誤認」に気づけずに「渇愛」に唯々諾々と従い、楽を欲しがり続けることしかできない。

分離と災難の種である低位アストラルの「利己的な欲求」というフォースと「恐怖というフォース」に対する執着は真実に対する「無知」から生じている。

 

目的の地位や環境を獲得出来たら、病気が治ったら、財政が安定したら、・・・と様々な願望が実現することで幸せになれる、“楽になれば苦が無くなる”という幻惑の虜になって欲しがることを止められない。

物事の道理を知らないがゆえに我欲の奴隷になっていることにも気づけない・・

欲があらゆる「苦」の原因だとは気づけない・・

「二極」そのものが幻惑であることにも気づけない・・

しかも未来が「確率」に支配されているので「意志」を行使することもできない。

 

宇宙的エネルギーの変化に伴い、人間のこのような悲惨な状はいま変容し始めている。

エネルギーを真に「識別」できるエネルギーワーカーは特にその変化の加速を実感している。

真の変容は「知識」がもたらすのではなく、エネルギーとの一体化による「理解」によってもたらされるものだからです。

 

言葉の限界を感じてしばらく発信を止めていましたが、新しい時代の劇的変化の渦中にあって、発信再開の指示に従い「受け取られた声なき声」のサポートに従事することにしました。

ブログ再開で「真理の秘密」をどこまで公表してよいのかについて躊躇しましたが、昨日隠しておくとチャンネル(通路)をせき止めてしまうので自己成長のためにも発信せよとの通達を受け「声なき声」をそのまま伝えていくことにします。

 

「汝、己を知れ」

そこからすべてが始まり、そこに帰結する。